当山の縁起

当山は、元々、「念仏堂」と云う祠があり、地元の人々の信仰を集めていたが、平安時代に阿弥陀聖として有名な空也上人(903~972)が、今の田辺高校の西側付近に本堂を建立し、「極楽寺」と名付けたと伝承されています。しかし、明治初年頃の失火により、その根拠となるもの(東福門院・朱雀天皇・寛平法王・醍醐天皇・恭禮門院の尊牌等)、ほとんどが焼失し、焼け残った材木で、現在の地に本堂を建立されました。 地元では今でも、元の地一帯を「寺屋敷」と呼んでいます。

また明治6年、同じ村にあった真言宗「養福寺」の廃寺により、その寺の地蔵菩薩を始めとする仏像は当山に引き渡され、地蔵堂に安置されています。この地蔵菩薩は、室町時代に活躍した、奈良の宿院仏師の作であり、今でも「安産・子安地蔵」として地元はもちろん、遠方よりお参りに来られています。

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